江戸時代から旅籠やお茶屋など
京の老舗が無数に軒を連ね、
文学の舞台としても知られる木屋町通。
春は高瀬川に揺れる花筏
夏は鴨川の上で涼む川床
秋は錦を織り成す辺り一面の紅葉
冬はゆりかもめが舞う川面のきらめき
そんな四季折々の京都を映し出す鴨川沿いに構え
通りの中でも一目置かれる鮒鶴は、
長い間京都の歴史とともに人々に愛されてきました。
ひとりの川魚業者が仕出し屋を創業。彼の名前は田中鶴三郎。主に鮒を扱っていたことから「鮒屋の鶴さん」と親しまれ、この愛称より「鮒鶴」という名前が付けられました。
鮒鶴は大料亭へと転身します。
当時料亭といえば平屋が主流で、美しい庭を眺めながら富裕層が食事を楽しむ場所でした。そんな常識を覆した鮒鶴。五層四階建ての純和風木造建築、目の前を流れる鴨川と、その向こうに連なる東山三十六峰を愛でながら食事ができる「おもてなし」の場所に生まれ変わりました。
評判を聞きつけた旅行者が日本中から訪れるようになった昭和期。当時指折りの数寄屋大工や作庭家が手掛けて3度の増築を重ね、ついには京都随一の料亭旅館となりました。
日本と海外の技術を融合させ、アールデコ意匠をアクセントとした建築、その革新性こそ、「良いものを残すだけでなく、時代にあわせて新しいものを取り込みお客を喜ばせる」おもてなしの精神そのものでした。
創業から142年。
歴史ある大規模な建造物が今も鴨川沿いに現存していること、また、建造物そのものの歴史的・芸術的価値が高く評価され、鮒鶴は文化庁によって登録有形文化財(建造物)に登録されました。
東山を借景としたここでしか手に入れることのできない非日常を有し、賓客を迎え入れる風格や、料亭旅館時代から続く「古き良き」をそのままに、本質的な当時の「おもてなし」の精神が今も息づいています。
こうして150年もの時の流れの中、
何代・何世代にも受け継がれ、
今や親子三代で利用するなど
鮒鶴で挙げる結婚式は、京都人の憧れに。
けじめをつけ夫婦の門出となった思い出の場所として、
大切な人への想いを
おもてなしで伝えた場所としてありつづける。
今も、これから先もいつまでも。