Concept
コンセプト

鮒鶴の想い
時代を越えて受け継ぐ、京の美と誇り。
明治創業、昭和初期に五層楼閣として姿を現した鮒鶴。
京都の風土と美を映す、唯一無二の佇まいとして受け継がれてきました。
伝統建築と近代意匠が調和するこの場所で、私たちは京の歴史と文化、そして心を込めたおもてなしを、これからも紡いでいきます。
HISTORY
百余年の時が刻む、料亭の記憶
鮒屋の鶴さんが「鮒鶴」に
明治3年(1870年)、ひとりの川魚業者が仕出し屋を創業しました。彼の名前は田中鶴三郎。主に鮒を扱っていたことから「鮒屋の鶴さん」と親しまれ、この愛称より「鮒鶴」という屋号が付けられました。大正11年(1922年)、現在地である木屋町松原に移転。宮大工・上田喜三郎、山本米蔵らによって、一世一代の大建築が始まります。当時、周囲の料亭はほとんどが平屋でしたが、新しい鮒鶴は五層四階建ての巨大な木造建築。構想から3年もの年月をかけて、大正14年(1925年)、それまでの常識をくつがえすような大料亭が完成したのです。
登録有形文化財に登録
このように歴史ある大規模な建造物が今も鴨川沿いに現存していること、また、建造物そのものの歴史的・芸術的価値が評価され、平成24年(2012年)4月21日、鮒鶴は文化庁によって登録有形文化財(建造物)に登録されました。140年もの歴史をもつ鮒鶴は、今も京都の誇りとして人びとに愛され、お食事や宴会、結婚式に利用されています。
FACILITY
和と洋が響き合う五層楼閣
五層楼閣と宮大工の技を伝える建築美
昭和初期、当代随一の宮大工が手がけた大料亭「鮒鶴」は、町家の並ぶ鴨川沿いにあって異彩を放つ存在でした。昭和7年には寄棟造の5階建てが増築され、和の技術を極めた造形と西洋建築の影響が交差する五層楼閣建築が完成。その壮麗な姿は、京都中の視線を集める存在となりました。
伝統とモダンの融合を語る空間美
南側増設を担った柴田四郎は、鉄骨構造やアールデコ装飾、エレベーターといった当時最先端の技術を導入。昭和初期のモダンと和の美が絶妙に調和した空間は、まさに新旧の融合。平成の再生では、格天井など再現不可能な伝統建築を残しつつ、現代的なラウンジやレストランが調和する場として生まれ変わりました。